なぜ、WYOGA(ダブルヨガ)のSESSION(一座)では、私の身体が、そしてあなたの身体が、意志を超えて勝手に動き出すのか。そのメカニズムについて少し説明します。それは、脳という「遅すぎる演算装置」を介さず、神経系がダイレクトに生命の響きに応答し始めるからです。
生理学者リベットの研究によれば、人間が「動こう」と意識する約0.5秒前に、すでに筋肉には「準備電位」が発生しています。つまり、脳(思考)が命令を出すときには、身体はもう動き始めているのです。「無我」の状態になったとき、この「脳の0.5秒の検閲」がオフになります。すると、脳の計算を介さず、脊髄や神経ネットワークがダイレクトに相手の反応を捉え、「身体が最適解を先に選んで動く」という逆転現象が起こります。これを脳科学では「ハイポフロンタリティ(前頭葉機能低下)」と呼びます。計算が止まることで、脳の深層にある「野生の回路」が剥き出しになり、コンマ数秒の計算を介さず、身体が最適解へと直接反応し始めます。
自分のエゴ(思考)を消すことで、身体というセンサーの解像度が極限まで高まります。これは「マッサージの技術」ではなく、高度な「生体フィードバック・システム」です。相手の身体が必要としている圧や角度を、身体が自動的に「計算」して動くのです。相手に触れ、境界線が溶け合うと、自分と相手の神経系が同期します。脳内のミラーニューロンは、相手の動きや感情を自分のことのようにシミュレートします。自分を「空」にすることで、このミラーリング機能が最大化されます。相手の痛みや滞りが自分の身体感覚として「同期」されるため、自分の手をどこに置くべきかは、もはや「考える」必要がなく、「磁石が引き合うように」身体が勝手に最適な場所へと導かれるのです。「私の手」が動くのではなく、「二人の間のエネルギーの歪み」を直そうとする自然の力が、自分の身体を道具として使っている状態です。
モーツァルトやミケランジェロが異口同音に語った「私は天にあるものを書き写した(削り出した)だけだ」という感覚。それは謙遜ではなく、「脳というリミッター」を外したあとに訪れる、生命の純粋な出力状態を指しています。きっとそれと同じ現象です。作曲家が天の調べを書き写すように、WYOGAの最中、私の身体は私自身の意志を超えて動き始めます。指先だけではなく、腕、腰、そして身体全体が、相手の生命エネルギーと共鳴し、最も調和の取れた場所へと勝手に導かれていく。それは、私の「脳」が計算した結果ではありません。理屈をこねる前頭葉を黙らせ、数千年の記憶が眠る神経系を解放する。そのとき、私はもはや「施術者」ではなく、自然の理(タオ)が通り抜けるための、媒体となります。この「神がかり」とも呼べる圧倒的な一体感こそが、現代のテクノロジーでは決して辿り着けない、人間だけの聖域です。
ここまでお話ししてきた「身体が勝手に動き出す感覚」や「一体感」は、決して選ばれた人間だけの特権ではありません。本来、私たち人間という生命体が、数千年の血脈(DNA)の中に等しく備えている「野生の基本性能」です。もし、私のマッサージが他と違うと感じていただけたなら、それは私が特別な技を知っているからではなく、ただ人より長く「心の在り方を整え、無我に集中する」という訓練を重ねてきた結果に過ぎません。マッサージが上手くなることは、目的ではなく「結果」です。そのために必要なのは、新しい技術を覚えることではなく、むしろ今持っている執着やエゴを「手放す(放つ)」こと。自分を消し、黒子になること。「治そう」という作為を捨て、祈りに徹すること。理屈のノイズを止め、感覚を溢れさせること。この「無我」の訓練を積み重ねた先に、あなたの身体は思考を追い越し、生命の調和(タオ)と同期して勝手に動き始めます。 |